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コラム
 <2004年47号(冬号)>
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生家の記憶(浴室)
前会長 多田 紘司
[徒然草抜粋]
「家の造りようは夏を旨とすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪え難き事なり。」

 当時の民家は浴室が別棟になっているのが一般的で、私の生家も例外ではなかった。そうなっていた理由は恥ずかしいけれど判らない。湿気を嫌ったのか、火を恐れたのか、或は方位や家相といった伝承によるのか何れにしろ生家の浴室は、母屋から10メートルほど離れた塀際に小ぢんまりと建っていた。

 今のように毎日入浴する習慣がなかったが風呂を沸かす日は、浴槽(かの五右衛門風呂)に水を満たすのが重労働だった。台所の手押しポンプから浴室までの片道30メートルをバケツ両手に10回以上も往復するのは、あと何回、あと何回と指折り数えながら自らを励ましての作業であった。

 母が時を見計らって火をつけ薪をくべる。こちらの方が一見楽であるかに見えたが、やはり大事な意味があった。「わら葺屋根」は火を最も警戒する。煙突から火の粉をまき散らすような焚き方は絶対にやってはいけないから、火の勢いと焚き木の量と質には細心の注意を払う。時にはゴミ焼却炉の役目も果たした風呂焚きのノウハウは母にあった。私がそれをマスターしたのはかなり後のことで、私は火の番をしながら雑誌を読んだり、たまには参考書を手にすることもあった。蛍雪の功の別バージョンである。

 夏の湯上りは、火照った肌を夜風にさらしながらのちょっと遅目の夕涼み、七夕やお盆の行事と重なった夜は今も変らぬ快感であったが、寒い夜の湯上りは、雪深い温泉宿で露天風呂を楽しむ今日の風情とはかなり趣が違った。戻るべき部屋がまるっきり冷え冷えとしている訳だから、一刻を争って袋団にもぐり込むのが正しい湯上りの方法であって、星を楽しんだ記憶は冬にはない。

 こうして思い起こしてみると、入浴習慣も「冬を旨」とした浴室の方が快適だったように思えるのだ。


 
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